城と歴史歩きを楽しむ

山城巡りを中心に楽しんで気ままな記事を書いています

丸子城 駿河 その3  丸馬出などの遺構がてんこ盛りの山城を堪能する 見どころ豊富です!

丸子城は鞠子城とも呼ばれ静岡県静岡市駿河区丸子にあります。丸子城の城域は広く、興味深い城郭遺構が多数ありますので複数回で紹介しています。今回は その3 です。※その4までの予定です。※その1は→こちら


その1、その2で、城域の東側から順次見学してきましたが、今回はいよいよ主郭に当たる本曲輪、丸馬出といわれる出曲輪、150mを越すような竪堀、長大な横堀などの見どころが豊富です。今回の参考資料も(1)「静岡県の中世城館跡」静岡県教育委員会 1978  (2)「静岡県の城跡 中部・駿河国版」静岡県の城跡編集委員会2012 (3)現地案内板 などです。


丸子城 複雑に配置された城郭遺構の役割を想定しながら見学して楽しむ


丸子城 本曲輪(主郭)の外桝形虎口D 本曲輪内から 奥に外桝形
 その2で、二の曲輪から橋(今は無い)を渡って外桝形に入りましたが、虎口の開口部は幅広で輪郭が不明瞭でした。往時の姿は、土塁の開口部の幅はもっと狭く、切り立っていたと想像しましたがどうでしょう。


丸子城 主郭 本曲輪(一の曲輪)の表示板が立つ 曲輪の周囲に土塁が残存
 本曲輪にも丸子城址保存会の立てた表示板があり、面積が最大の曲輪でした。曲輪の周囲を土塁が取り巻き虎口部分だけが開口していたのではないかと思いましたが、現況は風化等で土塁は部分的な残存になったように見えました。


丸子城 本曲輪の内側から 平虎口F 奥に 平場 し
 本曲輪の南東隅には平虎口Fが設けられていました。虎口の両サイドには土塁が残り開口部から外に出ると平場し が在りました。


丸子城 平場し ここからの道は無い?
 虎口Fから出た所にある平場し には外部に通じる道が見当たりませんでした。平場の西側切岸に竪堀が設けられていましたが、道ではなさそうでした。ここから南東に下る尾根筋には4段もの腰曲輪(その4で紹介)が設けられていますので、本曲輪防御の重要な備えの場所だったのかもしれませんね。


丸子城 本曲輪 南西隅の道 ハイク道か
 本曲輪の南西隅には、大鈩(おおだたら)方面に下る道がありハイキングコースの道標が立っていました。往時は土塁が設けられていたと思われる場所ですので、近年整備されたハイキングの道と考えてよさそうでした。


丸子城 本曲輪 食違虎口K 虎口土塁も残る 見どころです
 本曲輪の北西辺中央部には平場(6)からの道があり、食い違い虎口Kが設けられていました。虎口の両サイドには土塁が残り、見どころでした。


丸子城 平場(6)と堀切G 左奥に 道あ の終点部分
 北曲輪からスタートした 道あ は二の曲輪、本曲輪の裾を巻くようにしてここまで延びていました。堀切Gは道あ から下に竪堀となって切れ落ちていました。


丸子城 出曲輪(丸馬出) 平場(6)から 手前に堀切➀ ここも見どころ!
 武田流の丸馬出とされ、見どころでした。丸子城の北西方向の尾根は比較的傾斜が緩やかなので、尾根を断ち切るこの出曲輪が設けられていたと思われます。丸馬出としては 道あ 又は平場(6)から堀切➀に橋が架けられて渡っていたと想像してみました。堀切①は途中から竪堀となって切れ落ちていました。


丸子城 出曲輪(7) 左に堀切① 右に堀切か  東から 見どころです!
 出曲輪(7)は丸馬出とも言われる武田時代の遺構で写真のように堀切と切岸で囲まれた遺構が見事に残っていて見どころでした。

丸子城 出曲輪(丸馬出) 西から 右に土塁37 シダに覆われ写真写りが悪い
 出曲輪は形としては丸馬出ですが、現況では出撃拠点としての丸馬出としての仕様が分かりにくかったです。土塁37の切れ目に橋が架かって渡っていたかも、というのが想像です。

丸子城 土橋キと竪堀② 北西から
 出曲輪(7)が丸馬出だとすると、堀切か と竪堀②で形造られた土橋キが出撃の道になると思われます。


丸子城 長大な竪堀Jと堀切 か 南東から ここも見どころ
 竪堀Jは山下に届く150mほど切落ちた長大な竪堀ですが、今回の見学は中間点ぐらいまでとしました。 出曲輪(7)、堀切➀などとセットで本曲輪への侵入阻止の備えだったのではないかと思いました。長大な竪堀地形は材木の搬出路の可能性がありますが、ここでは竪堀と理解しました。


丸子城 右に長大な 横堀う と土塁33  地形さ が目立っている  ここも見どころ
 丸子城の北西法面には 横堀う と土塁33 が設けられ、尾根上の曲輪群の守りとして、大きな存在感がありました。写真の 地形さ は竪堀とのセットで本曲輪への回り込みを防ぐ役割だったのではないかと思いました。

丸子城 堀切う から  二の曲輪を見上げる   南西から 人物と比較
 横堀う の堀底から二の曲輪までの高低差は10mを優に超える急角度の切岸で、上部の各曲輪には土塁も設けられていますので、まさに鉄壁の守りだったと思いました。

丸子城 土塁33の土壇い  手前に竪堀28 南西から
 横堀う には さ と い の2ケ所に特異な遺構が設けられていました。どちらも尾根上の曲輪や地形と関連してセットで防御力を増しているように見受けられました。


丸子城 犬走地形30 北東から
 土塁33の下側には犬走地形30が設けられていましたが、風化の為か輪郭はやや曖昧でした。
※その4に続きます。